愛煙家、論

私は喫煙者です。
煙草を吸うことがかっこいいと思ったことはないけれど、煙草を吸う女、という存在や、愛煙家という存在が好きで、喫煙という概念が好きです。
シーシャも好きなのですが、また別の機会に。

渋谷ハチ公前の喫煙所の撤去は知っていたけれど、代わりに信号を渡ったところの喫煙所が悲惨な状況になっていることは知らなかった。
道路沿いにひとつの備え置き灰皿、当然周囲に吸い殻が散乱していて、酷いものだった。
こうなるよ、そりゃあ。と思いながら通り過ぎた。

分煙には大賛成です。私だって嫌いなものがある。たくさんたくさんあるし、それで健康を害されたらたまったもんじゃない。
だから分煙には大賛成。
しかし全面禁煙だとか、喫煙所の撤去だとか、もう少しどうにかならないものか、と思います。
ううん、だって、法律に違反しているわけではない。成人して、購入が認められているものを自分の意思で好んでいるわけで。迫害っぷりに辟易とします。
ヨクワカラナイ。
海外の公衆トイレのように、小銭を入れて使用できる喫煙ルームがあればいいのにな、と思う。

どんな世界になってしまうのだろう。
撒き散らされた吸い殻は醜くて、とても混ざる気にはなれなかった。
それが狙いなのかもしれないなとも思った。
喫煙はこんなに醜いですよ、という、見せしめのように感じた。

私は喫煙という文化が好きで、喫煙という行為が好きで、煙草を吸う人間に美しさを感じます。
ずらりと並んだ何十種類もの中から、決まったものを好んでいる。それが素敵なことに感じる。

分煙、大賛成。
全面禁煙、大反対。
綺麗に生きましょうよ、ねえ。

生きるも死ぬも

死は救いたりえるか。
いじめの自殺のニュースを見ると、目の前がぼんやりとする感覚を覚える。

私は自殺を否定しない。
この世界には希死念慮を持つ人と、持たない人がいる。
双方が分かりあうことは無いから、誰にも全否定も、全肯定も出来ないことだと思う。

けれど、自殺願望は、それと違う。
希死念慮は、漠然としたもの。睡眠に似た、欲求めいたものだ。
自殺願望は、希死念慮を持つ人も持たない人も、持つ可能性がある。

死は救いであるか?
私は、何度も死にたいと願ったけれど、死は救いではないとハッキリと言いたい。
死は人生の完成だ。
太宰も寺山修司ハイデッガーも言うけれど、人間は中途半端な死体として生まれて、一生をかけて完全な死体となる。
だから、死は、逃げ道ではない。
逃げ道は、あるのだ。生の中に。
たとえ全てに絶望しても、二度と救われることはないと目の前が真っ暗になっても、手探りでそこから飛び出せば、マシ、な、セカイがどこかにある。
生きてやってもいいかな、って。思える世界が絶対にあるから。

私の親友は中学に行っていない。
私自身も、高校を1度辞めている。
2人でよく、お酒を飲んで、くだらない話を何時迄もして、馬鹿馬鹿しく笑っている。
逃げ道は生の中に必ずあるから。
例えば、あなたが身体的に拘束されていて拷問を受けていて脱出出来ないとか、そういう状態で無い限り。学校も仕事も家も人も、全部捨てて良いのだから。
楽しい無職になろう。楽しい不登校になろう。楽しい独り身になって、くだらないことでケラケラ笑おう。

私はずっと希死念慮を抱えていた早逝した知人の自殺の理由がわからないことを、不思議とは思わない。
彼はそれで人生を完成させたのだと、そう思うから。
けれど、どうか、具体的な理由で。
逃げ道に気付かずに、死に逃げ道を探さないで。
死に救いを求めないで。
だって具体的な理由がある君は、その理由がなかったら、生きたいと思っていた筈なのだから。

死は救いたり得ない。

けれど、いつでも死ねる、と思うことは、救いたり得る。

どうせいつでも死ねるのだから、全部捨ててへらへら笑って何年かぶりに、公園の滑り台にでも一人で登って、おかしくなって泣きながら笑ってしまおうよ。
どうせいつでも死ねるのだから、もう少し、面白おかしくやってみようよ。
大丈夫だよ、どうせいつでも死ねるんだ。だから、どんなに馬鹿馬鹿しいことをしても良い。
それで笑えてしまったら、ほら、生きててよかったでしょ。

二百年後には誰もいない。
だから、ねえ、思いっきり逃げよう。
ダメ人間?上等じゃない。
カッコイイ人なんて大体ダメな人。

いつでも死ねるんだから、今じゃなくて、もっと楽しい時にしないかい。

私は、自分の人生を面白おかしくするために、今日も手一杯だ。
酒の肴にするために、馬鹿馬鹿しい毎日を送りたい。

海は青いと知っていた

何処かで会ったことがあるかもしれないし、見たことがあるかもしれないし、或いは、ナニカを読んだことがあるかもしれない。

けれど、今この私に相応しいのは初めましてだと思うから。

初めまして。

 

元来文章が好きだった。

子守唄より絵本を好むような、可愛気のない子供だった。

物語が好きだった。ストーリー性の無いものには心惹かれることは無くて、物語のように生きている。

虚構か現実かなんて、誰にも分からない。

 

教室の隅で息を殺していたあの頃、本は私の世界だった。

 

人間が好きだ。そして、大嫌いだ。

それでも人間がつくるこの世界が好きで、こうして息をして、目を開いてそれを見ている。

 

一貫性のあるものが好き。だから、私はきっと同じことしか言わないし、同じことしか伝えようとしないだろう。

 

世界と己との薄い膜のような隔たり、それをすり抜ける愛情、そして、毎秒死に向かう私達。

 

1秒1秒私たちは死んでいる。昨日のあなたも私もどこにもいない。

それなら、私は。1秒1秒を、大切に、殺したい。

 

今は伝わらなくてもいい。

只、数秒前のあなたが、何かを感じてくれているなら嬉しいな、と思う。

伝えてみせるから、どうかお互いに幸福に、今を生きてゆきましょう。

 

それでは今夜は、左様なら。

 

海々うみといいます。